知られざる山城、打越城跡を歩く

Writen by 杉原 功修さん

地区の寄合で雑談していた際、「私、お城や城跡巡りが好きなんです」と話したところ、皆さんから「大塔地区には結構あるよ。近くだと打越城跡もあるし」と教えていただきました。

移住して9年……まったく知りませんでした(もっと早く教えてよ~)。

それならばと歴史を調べてみると、地区内の城館跡は、龍松山城(上富田町)を本城とする山本主膳に関わるものと、大塔宮にまつわるものの2系統に分かれるようです。

今回は、家から車で5分ほどの田辺市下川下、春日神社の北東に位置する打越城跡を訪ねてみました。

標高224mの丘陵地に築かれたこの山城は、日置川と安川に挟まれた天然の堀に守られています。登城口から草をかき分けて進むと、城郭跡が現れましたが……草が生い茂っていて、良い写真は撮れませんでした。

資料によると、主郭は東西40m、南北12mの広さがあり、切岸がしっかりと残っています。さらに東側には堀切を挟んで二ノ曲輪があり、こちらは東西23m、南北10m。その北側には馬場跡と伝えられる平坦地も確認でき、西側の麓には「城の越」という地名が残っており、平時の居住地だったと考えられています。

築城者や築城年代は不明ですが、この地には、羽柴秀吉に謀殺された亀山城主・湯川直春の四男、忠蔵が仏門に入り「打越入道」と名乗って隠棲した屋敷跡もありますが、城との関係は定かではありません。

城跡には石垣などの派手な遺構はありませんが、名もなき在地領主が街道を押さえるために築いた小規模な山城だったのでしょう。その静かな佇まいは、戦国の世を生き抜いた人々の息遣いを今に伝えているようです。

自然に包まれた歴史の舞台。お近くにお越しの際は、ぜひ一度足を運んでみてください。きっと、お城、城郭好きには静かな感動が待っています。

最後まで読んで頂いてありがとうございました。

注:写真の打越城跡(仮称)の図は「大塔村史 通史・民族編」(平成23年3月31日田辺市発行)より引用させて頂きました。

この記事を書いた人

杉原 功修さん

大阪八尾市から移住して3年になるUターン組です。畑仕事を中心に趣味の帆船模型作り、アマチュア無線、真空管ラジオ・アンプ作りと田舎生活を満喫しています。暮らしを中心に田舎の良さをお伝え出来ればと思います。