山菜が教えてくれる、大塔の豊かさと移ろい

Writen by 杉原 功修さん

山深い大塔(おおとう)地域に移住して、十二回目の春が巡ってきました。夏野菜の準備で畑仕事に追われる季節ですが、私にとってはこの土地の「豊かさ」にどっぷり浸れる、いちばん好きな時期でもあります。

大塔の春といえば、何と言っても「山菜」です。  移住したばかりの頃は、地元のおばちゃん師匠に連れられて(私はほぼ荷物持ちでしたが…)賑やかに山へ入ったものです。「あそこにワラビがあるぞ」「こっちの谷はフキがあるんや」と、笑い声が山にこだまする時間が本当に楽しかった。
けれど十二年も経つと、周囲の皆さんもお歳を召し、最近ではすっかり一人で山に入るようになりました。熊が怖いので、奥までは行かなくなりましたが。

静寂の中、自分の足音と鳥の声だけを聞きながら山菜を探す時間は、少し寂しくもあり、けれど山と一対一で向き合っているような、贅沢なひとときでもあります。

ただ、ここ三年ほど、気になる変化を感じています。おそらく温暖化の影響でしょうか。これまで「ここに行けば必ずある」と思っていた場所に山菜が出なかったり、例年より一週間も早く芽吹いたりと、収穫の量や場所が明らかに変わってきました。長く見守ってきた山が、少しずつ姿を変えているのかもしれません

写真にあるタケノコ。これを手に入れるのは、実はなかなかの重労働です。
特に「雨の翌日」は竹藪がざわつきます。タケノコが一気に顔を出すこの日は、私と、そして山に住む鹿や猪たちとの真剣勝負です。
一歩遅れれば、彼らに先を越されて無惨にかじられた跡を見つけるだけ。泥だらけになりながら「悪いけど、今日は私の分ね」と心の中で獣たちに断りを入れ、瑞々しい一本を掘り当てた時の達成感は、スーパーの買い物では決して味わえない、山暮らしならではの喜びです。

以前は、近所の方々に配るために両手いっぱいに収穫していました。
けれど最近は、山菜を食べる習慣のある人も減り、私自身も年齢を重ねて、欲張ることをやめました。  写真一枚目にある煮付けたタケノコやワラビ、そしてイタドリ。
今の私には、この小皿に乗る分だけの恵みがあれば十分です。丁寧にアクを抜き、大塔の澄んだ水で仕立てる一皿。それは大げさではなく、この十二年間の暮らしそのものを味わっているような気持ちになります。毎年変わらずに(時には少し気まぐれに)旬の恵みを届けてくれる大塔の山々。
一人で入る山は少し心細いこともありますが、こうして食卓に春の色が並ぶたび、この地を選んだ自分を誇らしく思います。  

 山がくれる恵みに感謝して。

今年も、ごちそうさまでした。

この記事を書いた人

杉原 功修さん

大阪八尾市から移住して3年になるUターン組です。畑仕事を中心に趣味の帆船模型作り、アマチュア無線、真空管ラジオ・アンプ作りと田舎生活を満喫しています。暮らしを中心に田舎の良さをお伝え出来ればと思います。