地区の歴史探訪と、恒例の・・・

Writen by 杉原 功修さん

私の住む平瀬地区は、上地(かみじ)、下地(しもじ)、原地(はらじ)の三地域があります。

その原地にある小山の麓には、古くから”行者さん”と呼ばれる小さな石像があります。

頭巾を被り袈裟をかけ、手には錫杖と経巻を持って岩窟に腰を掛け、前鬼・後鬼を従えたその姿は。

そう、役行者(えんのぎょうじゃ)さんの像です。 

(役行者 = 修験道の開祖と言われる「役 小角(えん の おづぬ)」の通称)

像の下には「享和四年 大峯講中 子正月吉日」と刻まれています。
享和4年は西暦1804年(江戸幕府時代、海外ではナポレオン皇帝就任頃)なので、今から216年前ですね。

講(こう)とは、宗教行事等を行なう会合団体ですから、大峯講中とあるのは、奈良県吉野の大峰山にある大峰山寺に参拝する古来からの日本独特の宗教「修験道(しゅげんどう)」の方々の何らかの場所かと。。。

修験道は、日本古来の山岳信仰と仏教の密教らが合わさった信仰です。
日本では修行者を山伏(やまぶし 山に伏し、野に伏し、修行することから山伏と呼ばれる)と呼んでいたようで、このイメージが直ぐに浮かびます。

原地の近くに嶮しい黒嶽(くろだけ)、禊に使う水も近くに有り、心身を野山で鍛えることで霊験能力が得られるとされていますので、この場所は修行に最適だったのかな~??

でも大昔、家のすぐ近くを山伏が闊歩していたのかと思うと嬉しいです。
 

平瀬に住んで丸3年、四季と調和して変る山々を見て感じるのは、古来よりこの里に暮らす人は山の恩恵を受けて生かされているんだな~、ということ。

山に降る雨は水になり、水は木を育み、樹は空気を作り、森は獣を育てます。

里から山に向かい〝ありがとうございます″と拝む心が、この石像、この場所を出現させたのでしょうね。

自分が選んだ場所の歴史に思いをはせるのも、田舎暮らしの楽しみの一つですね。

また、ここにはもう一つの楽しみが有ります。

毎年、4月に”行者さん”でお祭りがあります。

行者祭

分かってる限りでも90年以上続くそうで、山の所有者のNさんを中心にご祈祷、餅まき(ホンマに紀南の人は餅まきとクジ引きが好きです)その後、皆で楽しい宴会です。

宴が進み皆の声が大きくなる頃に、山寺から入相の鐘が鳴り、終了となるのです。

 

そんな楽しみが。。

 

 

今年は新型コロナウィルスの拡大による自粛で中止になってしまいました。。。

 

来年こそは、皆で一緒に楽しい宴を行えますように・・・!!!

この記事を書いた人

杉原 功修さん

大阪八尾市から移住して3年になるUターン組です。畑仕事を中心に趣味の帆船模型作り、アマチュア無線、真空管ラジオ・アンプ作りと田舎生活を満喫しています。暮らしを中心に田舎の良さをお伝え出来ればと思います。