私たちは、知っている。
「コロナショック2020@和歌山」というタイトルにしようと思っていたのだけど。
こころの奥、底の方から、なんか違う、と聞こえてきた。
毎日のマスクで、耳の後ろは鈍痛。
でも、もはや、それにも慣れてしまった。
人との距離は、ソーシャルディスタンス(?)と呼ばれて、距離を空けるのを良しとされ、なんだか、ぎこちない私たちの日常は、田舎も同じだ。
仕事から帰ったら、すぐ手洗いをしないと不安になり、今着ている服を全部洗いたくなる。
「こんなはずじゃ、なかったやんな、、、」というのが、最近の私たちの口癖。
私自身、東京都の小池知事が【感染爆発 重大局面】と、四字熟語を並べながら、切迫した現状を訴え、会見をした、あの日。
あれから。
「ガラガラガッシャーン。」
世の中の当たり前が崩れたような、そんな感覚がある。
#stay home #コロナが早く終息しますように
いろいろ、いろ、いろ、いろ、いろ……。
みんなの思惑と、SNSで他人のこころが見え隠れ、それに対する反応をチェックせずにはいられない自分。
私たちは、何に怯えているのか。何に、躍らされているのか。
それは、、、ウィルスなのか。
そもそも、ワクチンが出来、ウィルスに勝つことが、ゴールなのか……?
ここ1か月ほど、毎日欠かさずニュースを見て、
天気予報並みの、マッピングされた感染情報に右往左往し、
みんなの噂を聞き、普段と違う生活に慣れず、
私は、見えない何かに怯え、疲弊していた。
極め付けが、言いにくそうに、母から言われた一言だった。
「最近、いつも気が立って、怒って話してる。」
こんな非常事態なんやから、当たり前やん、
と少し、カチンと来た。
でも、、、、確かに。
それでやっと、私は自分で自分を疲弊させていたことに気がついた。
ちょっと、さすがに疲れた、、、山でも見よう、、、。
せっかく、山の中にいるのだから、と今さら外を散策してみる。
すると、龍神村は、新緑真っ只中。
少し前に桜が美しかったが、今や、それに負けない新緑で、目が心地よい。
ここ最近、風が、強く吹く。
ユニクロのウルトラライトダウンのチョッキが、まだ手放せないほど、意外と寒い、この時期の龍神村。
レンゲの花のくっきりと鮮やかなピンクに、オオイヌノフグリの、控えめなブルー。
後ろでは、山が、
さわさわ、さわさわさわさわーーー。
風の中に、山の呼吸が聞こえてくる感じ。
ちょっと、懐かしい、あの感じ。
深呼吸してみた。
いち、
にー、
さん、
ふぅー。
何も考えてなかった、
何も考えずにいられた。
ザワザワしていた私の波が、少しだけ、静かになっていく。
ここで寝転がってやろうか、と思うくらいの心地よさだった。
こんなに、人間が四苦八苦してるのに、自然は、なんて、穏やかなのか。
静かに呼吸し、ゆったりと佇んでいる。
何にも、左右されない、その堂々とした佇まいたるや。
でも、よくよく考えてみたら、冬には枯れ、春には芽吹き、その自然の中で、変化しながら、生きている。
当たり前のように、変化しながら、生きているのだ………!
そしてまた、新しい春がやって来る。
「私たちは、知っている。」
と山から言われているみたいだ。
この、『シン・コロナ』ストーリーの結末を。
ドラマを観ている時みたいに、一喜一憂し、ココロ動かされているのは、いつも私たち人間だけだ。
そして、私は、思っている。
私たち自身も「私たちは、知っている。」のだということ。
先が見えない、先行きが不安、と口では言うけれど、
見たくない、見えないふり、をしているだけだと、思っている。
私たちは、
山も、人間も、ウィルスも同じ、
共生しながら生きている。
自然界では、それしか生きていける方法はないと、私は強く感じる。
今まさに、私たち人間に問われている気がしてならない。
昨日たまたま観た、インドとパキスタンの分離独立を描いた映画の中で、インドの独立を成し遂げた、ジャワハルラール・ネルーの言葉が、とても印象的だった。
「共生以外の唯一の道は、共に破滅することである。」