「田舎で暮らす」の選択までの軌跡
移住して3年を過ぎようとしています。
今回市民ライターとして皆さんに私の田舎暮らしへの選択、私の生活から感じた田舎暮らしの影、でも影を凌駕して余り有る光の魅力を、これからお伝えしていきたいと思います。
私は和歌山県西牟婁郡上富田町生まれで小学校4年生で大阪へ、定年で大阪府八尾市から田舎へ帰ったUターン組です。大阪では情報通信設備の設計、保守の仕事で日進月歩の技術革新に必死に付いてゆく毎日を過ごしていました。
15年程前、二人の子供の就職などがきっかけとなり、ふと「定年後どう暮らそう。。今と全く違う人生を残り過ごしたい」との思いが湧いてきました。
その選択肢として移住を考え、妻に恐る恐る言ってみると「いいんじゃない!」との返事、生まれも育ちも大阪八尾の妻から賛成を得られた事が大きなきっかけとなりました。
田舎暮らしに踏み切る人たちのきっかけは、それぞれ環境要因、金銭的な条件や家族など、背負う責任にも違いがあり人それぞれ千差万別だとは思ますが、私は妻の同意が一番で、今も深く感謝しています。(ヨイショ!)
そうと決まればせっかちな大阪人気質、丹波篠山、第二の故郷と思う奄美郡喜界島、他あちらこちらを検討し行ってみましたが、なかなか二人が納得出来る所が見つかりませんでした。。。
そんな時、久々に田舎のお墓参りに行くと、胸の奥底に眠っていた幼少期の思い出が蘇り田辺方面で探す事にし、次の4点で今の田辺市大塔地区平瀬に決めました。
- 自然が豊かな事
- 開けていて日当たりが良い事
- 路が整備され街へのアプローチが良い事
- 畑が借りられる事
大塔地区(旧大塔村)の名は後醍醐天皇の皇子『大塔宮護良親王』が、都から落ちのびる際立ち寄ったという故事に由来しているそうです。
私が住んでいる平瀬は全世帯47世帯で、昔は林業で非常に活気あふれる地域だったそうです。
いま家から見える半作嶺(はんさみね)の稜線は、乙女が横たわっているように見えるので「乙女の寝顔」と呼ばれ、四季折々に色んな姿を見せてくれ、また近くには富里温泉もあり、心身共に癒される場所です。
次回からは私の生活を中心に、歳時を織り込みながらお伝えしていきます。