古道の借家は幽霊屋敷?

Writen by 天野 直美さん

はじめまして、3年前に神奈川県川崎市から田辺市中辺路町近露(ちかつゆ)に、和歌山市出身の夫の定年退職を機に移住した天野直美です。先日56歳の誕生日を迎えました。

外国人観光客が増えている熊野古道で、昨年4月からゲストハウスをはじめました。お客さま、地域の皆さま、旅行会社の皆さまのおかげで、とても楽しい毎日を過ごしています。

ゲストハウス 「熊野古道の宿 近露そら」
初めてのお客様,台湾からの4名様がゲストハウスの成功を祈ってくれました

移住前は川崎市のマンションに住み、長年、漠然と田舎暮らしに憧れてきました。夫の定年が近づくとともに、和歌山市に住む高齢の夫の両親も気がかりになり、夫の定年の3年前に「定年を機に和歌山の田舎に移住する」ということは決めました。

その後、和歌山県の移住関係の皆さまに大変にお世話になり、2年ほどかけて移住ツアー、移住支援のハンサムな職員さんたちが案内してくれる個人旅行、仕事体験旅行等で、和歌山の全域を巡らせていただき、多くの移住者さんがどのように暮らしているかを聞くことができました。

当時、外国人観光客の急増がニュースとなり、インバウンド需要が日本経済を活性化していました。移住後は観光関係の仕事ができたらいいなと考え、全国通訳案内士(英語)の資格を取りました。移住先として世界遺産に多くの外国人旅行者が訪れている高野山と熊野古道にフォーカスし、個人旅行で高野山と熊野古道を訪れ、地元の人がオープンで温かい熊野に移住することに決めました。

当時の私の仕事は、ネットによる世界各国の医療需要と医療政策の調査であり、パソコン1つでどこでもできるため、移住による収入の減少を心配する必要がなかったことも、移住を後押ししました。

近露には奥ジャパンという旅行会社の支店があり、日本各地の古道を歩き、古道に残る日本の古い文化を楽しむ旅を、多くの外国の方に提供しています。この奥ジャパンの熊野古道支店でインターンをさせていただくという機会を、和歌山県の移住支援の職員さんからご紹介いただきました。夫の定年に先んじて、熊野に住み、家を探すために、インターンを申し込むと、奥ジャパンの紹介で、月2万円で一戸建ての民家をお借りすることができました。

2017年3月末日、たくさんの希望と多少の不安とともに、夫と一緒に、近露の奥ジャパンに到着し、お借りする家に案内していただきました。この家を紹介してくださったTさんが、近露で最も大事な人となります。
Tさんのお兄さんが亡くなり、その家で初盆をするまで貸してくださるということでした。
家に着くと、熊野古道に旅行したときに、とがの木茶屋を案内してくださり、手作りのとがの木茶屋の和紙細工をくださった女性Sさんがニコニコと微笑んでいて驚きました。なんと、偶然にもSさんのご主人がTさんのいとこだそうです。

荷物を車から運び終わったころ、Tさんがタバコを吸いながら、後ろ姿で「僕は早く妻を亡くして、ひとりなんよ」と言うのを聞いて「じゃあ、今日一緒にご飯食べましょう」と声をかけました。すると、Tさんはすぐに軽トラで出発し、近所の家に眠っていた炊飯器を調達してくださり、猟師であるというSさんのご主人は初めていただくシシ肉を持ってきてくださいました。引っ越し当日から、地元の方と、地元の味をおいしくいただくことができ、不安はなくなり、心から嬉しかったです。そして、Tさんのお兄さんの遺影が飾ってあるお仏壇に、感謝を込めて、ご飯とお水をお供えして幸せな眠りにつきました。

次の日、目覚め、奥ジャパンへ出勤前にお仏壇に手を合わせようとすると、なんと、お供えしたご飯がきれいに無くなっていたのです、キャーッ!?!?(続く)

この記事を書いた人

天野 直美さん

2017年に神奈川県川崎市から中辺路町近露に移住。千葉県育ち,和歌山市出身の夫の定年退職を機に,外国人観光客が増えている熊野古道沿いの中辺路町近露に移住。和歌山県の移住者起業補助金のご支援をいただき,2019年4月からゲストハウス「近露そら」を開業。美しい自然と厳かな寺社が残る熊野で,お客さまや地元の皆さまとのふれあい,古道歩きを楽しむ毎日です。