Uターンしてきて気づく、人間らしさ

Writen by 松本 麻佐子さん

こっち(龍神村)に帰ってくるまでは、地元で公務員をしている男友達に「和歌山バカにしてるやろー」とツッコまれていたくらい、心の中で、田舎をバカにしていたと思う。

それくらい、私自身、帰る直前まで、さらさら帰るつもりもなかったし、帰ってきた時も「地元に帰ってきたー!!」というような、そんなテンションでもなかった。10年ぶりの龍神村での“暮らし”に、私は何も期待していなかった。

なのに。

そんな、スナフキンみたいな、しけたツラした、ちっぽけな私を、なんてことはない、ゆるやかに包み込む龍神村の、ふところの深さに、正直、驚きさえ覚えた。

どう伝えたら、分かりやすいだろう。

例えば、冬の、寒さの底みたいな夜に、湯船に浸かった時の、あの、血が体の末端までじんわり行き届いた時のような。今までこわばっていた体が、確かに生きている、ただの人間らしさを取り戻したような、そんな感覚に似ている。
帰ってきて、ピンとしっかり張っていたはずの糸を、無造作にプツと切られた。疲れて、張り詰めていた自分に気が付いた、Uターン1年目だったように思う。

そもそも、なんで私が龍神村に帰ってきたのか、の話をしてみようと思う。

私が、龍神村に戻ってきたきっかけは、父が大阪に出てきた時に、飲みの席で「帰ってきて、店の仕事を麻佐子なりにやってみないか?」と話があった、たったそれだけのことだった。
人それぞれだと思うけど、きっかけなんてそんなものだと、私は思う。

帰って来る前は、広告代理店の営業をしていたから、自社で自信を持って売れる商品があるということは素晴らしいことだと、前職の経験で改めて気づかされた。だから、「20代半ば、やりたいことやってみるなら今のうちだ!」と思って、挑戦してみたいと思った。

そんな理由で帰ってきたものだから、正直、最初は暮らしがどうとか考えていなかった。

楽しい仕事をやりたいと、ただそれだけを思って帰って来たので、特に都会に疲れて、田舎が恋しくて、とかでもなかったわけで。だから、そんな私は移住マイノリティかもしれないな。でも、後から振り返ってみると、やっぱり少しは疲れていたのかな、と今は思う。それは、5年目の今だから思うことかな。

帰ってきて感じたことは、「何よりも仕事仕事!」と思ってたのが「暮らしの中に、実は仕事があったんかなー・・?」と今さら気づき始めたこと。

龍神村は、夜はひっそりと、本当の真っ暗、になる。そうすると、空にある星の光に、自然に目がいく。「あ、星や」と、気づく心持ちが自分にあって、その時はハッとしたのを覚えている。

大阪時代は、早足で歩きながら、でも人に当たらないように、スマホで仕事の連絡取りながら、前か足元しか見てなかったな、と思い出す。都会は都会で楽しかったし、仕事も大好きだったし、いい思い出しかないけど、心の芯が温かくなるような、この感覚は、ここでしか味わえないなと思う。

最近、キッチンで洗い物をしながら、母がこんな話をしてくれた。

母は、都会育ちだったので、幼いころ「いつか、大自然の中の一軒家に住みたいな」と常々思っていたらしく、キッチンの窓から、外の景色を見ながら「あ、わたし夢かなってる。笑」と今さら、気が付いたらしい。その時は、「何それー?」と冗談ぽく笑ってしまったのだけど。

その日から、私も「そうなのか、、」と思って、家の中から、外を眺めてみた。ひとつ、ひとつ、窓から外を眺めてみる。窓枠が額縁になって、外の景色が本当に絵みたいだ。

私たちは、山の中に、生かされているんだなーと、知った日。

この記事を書いた人

松本 麻佐子さん

田辺市龍神村出身。高校から村を出ていたので、10年ぶりの龍神村・田舎暮らし。家具屋の長女。関大卒、大阪での広告代理店勤務を経て、26歳の時にUターン。家業の「道の駅龍游」と「G.WORKS」を行ったり来たりの日々。どこに住んでも、いいとこ、あかんとこあると思ってます。でも、できるだけ「いいとこ」を見つけて、日々過ごしたい。このたなごこちライターを通して、私自身も地元の新しい発見ができたらと思っています。