田舎暮らしの楽しみ秘境と歴史の散歩(近代の歴史跡)~その二~
県道217号線を近露方面に日置川上流を見ながら歩いていくと、だんだんユニークな形をした大小無数の奇岩が見えはじめ、さらに進んでいくと猿飛の岩場と言われるところで、大きな奇岩に押され壊れた堰堤(えんてい 河川・渓谷を横断してつくられる堤防)跡が見えてきます。
その横から下流に向かって石垣の水路があり、先にはコンクリートで作られた建物跡の基礎へ消えていきます。
その下には石で組まれた排水口が。。
私は電力会社社員だったので直ぐに”発電所では?”と思い、古老に聞くと、過去に平瀬地区で作った自家発電所だったそうです。
当時の地区は照明の明かりは小皿に種油を入れて、蝋燭の芯みたいなものを小皿の端に置き、火をつけてた物(時代劇でよく見る)で、後にランプになったそうです。
都会で見る電灯への憧れは非常に強いものだったそうで、昭和22年(73年前)に憧れはピークになり「自分たちで作ろう!」との地区決議で、2年後(昭和24年3月)に低落差発電装置 出力25KW、供給戸数100戸250灯の平瀬自家発電所が完成しました。
地区役員は県庁へ技術者の派遣要請、銀行へ融資依頼。
区民は総出で男は水路、石積他の作業、女・子供は急流な河原の1キロ下流からブリキ缶で砂、バラス運搬と。
途中、石割の発破作業で負傷者を出すなど、筆舌に尽くしがたい苦難の作業だったそうです。
昭和35年頃から順次関西電力よりの供給へと切替り、その役目を終えました。
ここを通るたびに急流の水の音が、昔作業を鼓舞する掛声とラップする感覚に私はなります。
先人の生活向上への挑戦、情熱にはただただ頭が下がります。
田舎暮らしはスローライフだとネットではよく言われています。
確かにその一面は有りますが、生活をより良い楽しいものとするための努力も必要かと思います。
またその努力も田舎暮らしの楽しみですね。