山奥に連れてこられて〜前編

Writen by さとこさん

龍神村にも春が来て、辛かった杉花粉も終わり、桜は咲きそして散り、どんぐり系の木の花が咲き始め、また花粉に悩まされている日々を過ごしております。

小2の娘にはお気に入りの山があり、その山は春には山桜が咲き、秋には素敵な紅葉が見られます。

桜はピンクの花が咲き終わるとガク(?)が残るのか全体的に茶色っぽく見えるので、ちょうどピンクがなくなった今頃は、茶色い桜と、新緑の黄緑色の葉と、濃い緑の杉が入り混じった状態になります。

娘がこの山を
「まるで春夏秋が一緒になったお山」と呼んでいます。

そんな娘は龍神育ちなので都会よりも山が好きな子です。
都会で3歳くらいまで育った息子は都会も山も好きな子です。
私はというと、息子と同じで両方好きです。

田舎暮らしに全く憧れを抱いていなかった都会大好きな私がどうしてこんな不便極まりない山奥に移住してきたのかというざっくりとした説明はプロフィールや自己紹介で書かせていただきました。

今日は自己紹介などには書かれていない、当時の想いなど書いてみたいと思います。

これは以前、田辺市の講演会でお話しさせていただいた内容で、当時も「移住に対してネガティブ発言があるかもしれませんがいいですか?」とお断りを入れた上でさせて頂きました。。

いろいろな県市町村の移住推進サイトって結構ポジティブなことばかり書かれていると感じます。
でも人生どこに住んでいようが楽しいことばかりじゃないと思うのですよね。そんな気持ちを田辺市は許してくれて講演会も無事に終わり、きっと「たなごこち」編集部も許してくれると信じて書かせて頂きます。

これから移住を検討したい方にはもちろん、「もう移住したけど私もこんな想いした!」と同情(笑)してくださる移住者の方や、「こんな想いを持っているんだ移住者の人って」と知ってくださる地元の方にもぜひお読みいただければと思います。

では私が移住して今に至るまで龍神村で感じたことをキーワードを使いお話ししたいと思います。 

・移住妻
・社会に属す
・自分の居場所の確立
・楽しいことは自分発信で
・違いを楽しむ

まず「移住妻」。
【夫の意思により都会から田舎へ移住せざる得ない妻のこと。妻自ら田舎に移住したいと言い出した場合は移住妻とは呼ばない】

初めて聞いた方がほとんどかと思います。なぜなら私が考えた言葉ですので。移住妻とは駐在妻みたいなものです。

移住妻と夫の気持ちの温度差はすごいです。移住して新しい事業を起こす、もしくは移住先の企業に就職する・・今の時代ではテレワークが可能になったから地方でも仕事が続けられる!という確固たる決意を持って「夫」という人は移住を考え始めるでしょう。

そしてそれに付いてくる妻は100%賛同してくるか、仕方ないからと50%くらいの気持できます。0%ならきっと夫が諦めるか、別居か離婚か・・そんな選択になるのかと思います。

ここで100%賛同してきた妻と、そこそこ50%半分諦めモードで来ている妻のモチベーションは変わってきます。
50%の妻はいつまで経っても「仕方なく来た」「夫が言うから来た」と言う気持が拭い切れないのです。

そしていつかは都会に戻る・戻りたいと思ってしまいます。移住妻とはこの50%あたりの気持をお持ちの奥様方を指します。

私は典型的な移住妻です。夫が突然移住したいと言い出しました。

2010年に長男が生まれ、私は息子をベビーカーに乗せて代官山やら青山やらを散歩する毎日でした。息子の習い事は六本木。東京ママ生活を堪能していました。。

夫の移住の申し出を受け、夏に旅行を兼て龍神村を訪れ、「なんか普通じゃない人生になりそうでいいじゃん!」と思って移住に賛成しました。

移住して数ヶ月は見るもの全てが目新しいものばかりで長期旅行気分で暮らしていました。お裾分けが松茸やうなぎだったりして「龍神すごーい!」とウキウキした毎日でした・・

そのうち夫は仕事を通じて知り合いが増えていきます。夫は新しい「社会」を築き上げます。
一方で仕事もしていない妻はなかなか友達ができません。

移住前は気の合う友達がたくさんいた、お気に入りの美容院があった、自分の実家に気軽に行けた・・のに・・・

数年後、私は気がつきました。移住妻は今までの「社会」と疎遠になる。当たり前だったことが当たり前でなくなる、と。

妻ばかりでなく、子供がいる場合は子供の趣味趣向を尊重しなければなりません。息子は鉄道が大好きでした。電車好きの子が電車の通っていない山奥に連れて来られたら。。
そして子供達にも大切な「社会」があることを親は忘れてはいけません。

頼れる親族も知り合いも誰もいない、言葉・文化も違う未知の世界「関西」。しかも「龍神弁」が全く分からない言葉の壁。

息子が保育園に通い始めると、不安感はいっそう高まりました。「移住ママの私に友達はできるのかな?」という気持ちです。

息子は保育園という社会、夫は仕事という社会、私はどの社会にも属していない不安感です。もしかしたら私が『社会に属し安心したい』という気持ちが強い人間なのかもしれませんが・・

田舎は特に狭いコミュニティのため「皆が皆を知っている。あの子はあの人の孫」というレベルまで知り尽くしています。
親戚関係も多いです。
また親同士が保育園から中学まで同じクラスで今でも下の名前で呼び合う仲良し軍団です。「ママ友」というカテゴリーは存在しなくて「真の友達またな親族」なのです。
その中に、移住ママはなかなか入れません。アウェイ感満載です。

初対面のため標準語で丁寧に話すと「上品な喋り方」「賢そう」と言われたこともありました。先方は悪気があって言うのではないのですが、私は結構寂しい感じがしました。丁寧語で話すのは当たり前だし標準語を話すのは当たり前だったからです。

龍神ママたちはほとんど働いています。子供が就園前でも祖父母に預けて働きに出られるのです。ですから同年代のママ友というのが出来にくい状態だったのです。

東京に住んでいたらママ友とカフェでおしゃべりしてた日々・・そんなのも龍神でもあるのかなって思っていたのでカルチャーショックでした。

保育園の保護者会では自分以外は皆顔見知りで、私の知らない話で盛り上がります。無理に地元の輪に入ろうとして疲れを感じたこともありました。

疎外感。別に仲間外れにされた訳でもなく、皆優しいのに、そう感じてしまう、自分がそうさせてしまっている・・そんな日々が続きました。。

次回は、こんなネガティブな私が移住9年目を迎えられたその背景にある「自分の居場所の確立の大切さ」「楽しいことは自分から」「都会との違いを楽しむ」というお話しをしていきたいと思います。

この記事を書いた人

さとこさん

埼玉県出身。3年間の海外生活以外は実家を出たことがない。 子供英会話講師など英語に関わる仕事を続けて、友人の紹介でテレビ番組の翻訳業務に就き、テレビディレクターである今の夫と結婚。東京でのママ生活を満喫していた。ところが、2012年夏、夫の「龍神村へ移住したい」の一声で当時2歳の息子と3人の移住決定。今は長女にも恵まれ、親族も友達もいなかった関西の、しかも山奥での私の暮らしが続いている。