誇り高き法被でハッピー

Writen by さとこさん

全国で小中学校の運動会や体育祭が、残暑厳しい秋から5月開催に変更になる動きがあります。避暑地とされる龍神村も例外ではなく、中学校の体育祭が5月に開催されました。
移住して10年、保育園・小学校の運動会は経験してきましたが、中学生の体育祭は初めてです。
龍神村の小学校の運動会については以前「たなごこち」に書いた通り、「ご祝儀制度」「保護者席にパイプ椅子とテント」に驚きました。中学にはないだろうと思っていたご祝儀制度。もちろん中学校もその制度はあり、用意をしていかなかった私たちは受付でアタフタ。「別にええねんで」と言われましたが、過去小学6年間お渡ししてきたご祝儀を忘れてしまったのは痛恨の極み。袱紗(ふくさ)からお出しする方を横目に、我が家は手元にあった小汚い封筒で「おめでとうございます」の一言を添えてご祝儀をお渡ししました。

体育祭前のある日「祭の法被、ソーラン節で使うから出しておいて」と息子に言われました。そう、龍神村には地区ごとに法被があるのです。1家に1枚は持ってることが多いかもしれません。しかも地区のマークが背に入ったオーダーメイド。お土産屋さんで売っている様などこにでもある法被ではありません。
私には、息子のこの「法被、出しておいて」という発言がものすごく刺さったのです。全国的に大小規模にかかわらず祭が残る地区があります。祭に関わる方、その文化の中に暮らす方には「法被」は当たり前に家にあるものかもしれません。でも私はそういう文化で育ってこず、法被は家に無かったので母親に「法被出しておいて」なんて言ったことがありません。「ああ、息子は法被がることが日常なのだな」と新鮮さを覚えたのでした。

コロナ禍でこの数年、祭の中止が続いていますが、私たちが住む龍神村小家の小家神楽は「田辺市無形民俗文化財」に指定されています。とても小さな地区で、一番若い住民は我が娘であるというくらい高齢化が進んでいる地域です。笛や太鼓は代々受け継がれ、各地域で祭前になると子供達の練習が始まります。

小家、甲斐川、福井の3地区は荒島神社を氏神様とし、祭を行います。
10年前、移住したての頃、地元の方に言われたことがあります。「荒島神社の祭、えらいで(大変だよ)。」と。「3日帰らぬ夫」とか「血塗れの夫」とかそういう話を聞いたときは「大変なところに引っ越してきてしまった!」と後悔したものです。
荒島神社の秋祭は別名「けんか祭り」。とても荒々しいのです。神輿を荒島神社の境内に上げるのですが、境内までが長い石階段。ほぼ泥酔状態で地区の仲間と頑張って上げるのですが、その中に一人「上げさせない」という役割がいる様で、その陰謀者がバレると仲間からボッコボコにされるのです。。というのは大袈裟かもしれませんが、東京からきたばかりの私には本当にショックでした。。救急車が来たときもありましたから。

無事に境内に上がると、地区ごとに太鼓・笛・獅子舞と賑やかな御神楽が始まります。3地区の中でも小家神楽は人気な様で、見物者からの拍手もより一層大きなものになります。動画サイトで「小家神楽」と調べると出てきます。最初は「道中」というリズムで少しゆっくりしていますがそのうち早くなりかっこいいです。ぜひご覧ください。

私も子どもたちも笛を持っています。楽譜があるわけでもないので、耳コピで覚えなくてはいけません。音を出すのすら難しいのですが、せっかく小家っ子なので、「田辺市無形民俗文化財」の小家神楽を小家の法被を身に付けて奏でられる様になりたい思います。

この記事を書いた人

さとこさん

埼玉県出身。3年間の海外生活以外は実家を出たことがない。 子供英会話講師など英語に関わる仕事を続けて、友人の紹介でテレビ番組の翻訳業務に就き、テレビディレクターである今の夫と結婚。東京でのママ生活を満喫していた。ところが、2012年夏、夫の「龍神村へ移住したい」の一声で当時2歳の息子と3人の移住決定。今は長女にも恵まれ、親族も友達もいなかった関西の、しかも山奥での私の暮らしが続いている。