大きな国際交流

Writen by さとこさん

初夏になり、ツバメが多くみられるようになりましたね。我が家も早くからアオダイショウ対策をし、入居を今か今かと待っていました。しかし、数回内見に来たものの、入居ならずという結果に。残念でもあり、ちょっと安心したという気持ちが入り混じっています。なかやまさん、今年は代わりに頑張ってください!応援しています!!

以前、「小さな国際交流」という記事を書きましたが、今回は1週間パラグアイからの女の子のホストファミリーになったお話です。

私たちは初めて「中南米移住者受入事業」に参加しました。和歌山県では戦前・戦後に多くの県民が北米・中米・南米・オーストラリアなどに移住した歴史があります。彼らの多くは、自身が和歌山にルーツがあるということを誇りに思い、現地で「和歌山県人会」の活動を盛んに行っています。

「中南米移住者受入事業」は、和歌山県人会から短期研修生が県内の一般家庭にホームステイをし、日本の風俗習慣などを体験して、将来にわたって県人会活動の維持・発展に資することを目的とする事業です。

私たちが受け入れた女の子はパラグアイ和歌山県人会日系3世で20歳の奈美さんです。ご家族は大規模農園を経営されて、奈美さんやご兄弟も農業大学で勉強をして、いずれ実家の農園を手伝うとのこと。

ある晩、奈美さんとgoogle earthでパラグアイの自宅を探してみました。彼女にとっては初めてのgoogle earth。

住所を打ち込めばいいので住所を聞くと「分からない」と。「え?住所ないの?」と聞くと、「ない。郵便物などは大きな街まで車で行って取りに行く」とのこと。なるほど、ポツンと一軒家よりも自宅探しが大変そうです。

近くに墓地がある、というざっくりとした情報を元に、近くの大きな街を頼りに周辺にある墓地を探します。帯広より広大な緑と茶色の美しい大地が広がる中に、目的の墓地を発見しました。日本とは真逆のカラフルな墓地です。

「えーとね、えーとね」なんて言いながら奈美さんは自分の家を探すのが楽しそうです。奈美さんの家はとても大きく、周辺の農家さんとおぼしき家々はほとんど親族だということでした。「ここがおばあちゃんが住んでる家で、これが動物たちがいる小屋。ここがトラクターとか入れるところ」など詳しく教えてくれました。今彼女が通っている大学や住んでいるアパートも教えてくれました。

行ったことがない、そしてこれからも行くことがないであろう場所をワクワクしながら一緒に見れてとても楽しかったです。

幼い時、奈美さんはパラグアイで現地の学校と日本語学校に通っていたそうです。家族とは日本語で話すので日本語はペラペラ。本人は意識していないのですが時々和歌山弁のイントネーションが入るのが可愛いのです。日本の文化もかなり身についていますし、地元には日本食レストランもあるので食べ物にも慣れています。

滞在中は、息子の通う中学校で「国際交流」の一環としてパラグアイの紹介をしたり、初めての学校給食を食べたり、熊野本宮大社では平安衣装の体験着付けも楽しみました。

また、海のないパラグアイ育ちの奈美さんは綺麗な白浜の海に感動し、初めて外の自動販売機でジュースを買う経験もしました。よく聞く話ですが、外に自動販売機があるというのは治安がいい日本だからできることのようです。

家ではカレーやたこ焼きを作ったり、近所の藍染工房では手提げ袋を染める体験をしたりと、1週間様々な経験をしてもらいました。

しかし、奈美さんがこの滞在で一番楽しかったというのが「しりとり」だったというのだから驚きです。

実は、車で移動する際、家族4人と奈美さんとで毎回「しりとり」をしていたのです。パラグアイではやったことがなかったとのこと。自分の日本語の勉強になるから楽しかったのかな?と思ったら、実は奈美さんは次の人を困らせるというトリッキーな裏の楽しみ方をしていたようです。次の人にずっと同じ文字で責める「あれ」です。

本気オセロや本気ババ抜きを毎晩して、私たち家族も楽しい時を過ごしました。「しりとり」もそうですが、私たち家族4人がシンプルなゲームでこんなに笑ったのは久しぶりでした。

奈美さんのおかげで、多くの日本の家族が忘れかけている「一家団欒」が出来た気がします。

きっと奈美さんのおじいさんおばあさんが、昔昔遠い国に渡っても「日本(和歌山)の文化・言葉」はもちろん「一家団欒の時間」も大切にし繋げていってくれたのでしょう。

地球の裏側で、悠久の時を経て今も続く「日本・和歌山」に想いをはせてみるのもいいですね。

この記事を書いた人

さとこさん

埼玉県出身。3年間の海外生活以外は実家を出たことがない。 子供英会話講師など英語に関わる仕事を続けて、友人の紹介でテレビ番組の翻訳業務に就き、テレビディレクターである今の夫と結婚。東京でのママ生活を満喫していた。ところが、2012年夏、夫の「龍神村へ移住したい」の一声で当時2歳の息子と3人の移住決定。今は長女にも恵まれ、親族も友達もいなかった関西の、しかも山奥での私の暮らしが続いている。